国語を教えていていつもいつもいつもいつも思うことは
「読解力だけじゃないんですよ…!!!!」ということです。
確かに読解力は大切です。
保護者の方からもよく
「どうやって読解力を身に着ければ良いんですか?」
「本を読めば読解力がつくのはわかるんですが、本を読まないんです…」
という声を頂きます。
ただ、読解力には前提が必要です。
それは「想像力」です。
「読解力」に悩んでいる保護者の子どもの多くが、この「想像力」が足りていません。
「読む」だけなら誰でもできますが、「読んでその内容を頭に思い浮かべる」ができていないんです。
それはなぜか。
答えは、「想像力」のストックが足りていないからです。
例えば、小4の国語で出てくる「ヤドカリ」の話です。
テーマは「なぜヤドカリはイソギンチャクを背負っているか」です。
その中に、「イソギンチャクのしょく手は、何かが触れると相手をしびれさせるしょく手が飛び出る」
「ヤドカリを食べようとしたタコが、背中のイソギンチャクのしょく手を危険だと思い、近づかなくなる。」という内容があります。
これを理解するためには、タコ、イソギンチャク、イソギンチャクのしょく手、そしてうにょうにょ動くしょく手の様子、
そして、飛び出る針にびっくりして逃げるタコの様子、が想像できなくてはなりません。
こんな感じの想像ができていればグッド…
物語文でも同じです。
中2の物語文「小さな手袋」で
主人公のシホちゃんが、病院の裏の森で偶然出くわしたおばあちゃんと仲良くなる話です。
その後シホの祖父の体調が悪化し、家族が忙しくなるのですが、シホちゃんとしては、森のおばあちゃんのところに行きたい。
でも家族の一大事に血縁のないおばあちゃんのところに行くのはどうなのか…というシホちゃんの葛藤が描かれます。
このシーンもやはり想像力が必要です。
ほとんどの生徒に同じような経験なんてありません。
その時にどんな気持ちになるのかは、シホちゃんの立場を想像してみないといけない。
シホちゃんにとって、祖父は大切、でも自分が今、何かをできるわけではない、
そう思いながら、おばあちゃんのところに行っていいのか…?という「後ろ髪をひかれる気持ち」「家族に対してうしろめたい気持ち」
を抱えながら、おばあちゃんに会いに行きます。
人生でいろんな経験をしてきた大人なら簡単に気持ちが想像できます。
映画やドラマ、小説、マンガでそういった葛藤は多く描かれるからです。
しかし、そういった作品にまだ出会えていない子どもにとってはその想像は非常に難しいのです。
そこで大切なのが音読の宿題です。(ようやく本題にもどりました。)
音読はただただ声を出して読むだけの宿題ではありません。
読んだ内容について、親子で会話する時間だと思うと、非常に良い効果が得られます。
説明文では、その生き物や現象について、大人の知っている「当たり前」を伝えることができます。
物語文では、直接描かれない心模様を教えることができます。
普通小学校高学年以降の物語文では、○○は悲しかった、とか○○は嬉しかった、とかいう直接的な表現はしないですよね。
幼少期に絵本を読んでいなかったり、小学校低学年の物語文に一生懸命取り組めていない子は、
大人が当たり前と思う感情表現を捉えられていないことが多いです。
そこを音読の時間を使って、話をしてみると、「想像力」そして「読解力」に繋がります。
まぁそんな勉強的な側面も大切ですが、そうやって親子で一つの作品について話す時間ってそもそも大切なんです。
子どもは親の姿を見ています。(あ、お母さんはこの話に興味があるんだ。)(へ~、お父さんってそういうことも知っているのか。)
という親への関心が子どもの勉強意欲を引き立てるんです。
親の当たり前を子の当たり前と思わない、そう思いながらぜひ音読の宿題に取り組んでいただけるとすごく嬉しいです(#^^#)
音読のメリットはまだまだあります…!
でも長くなっちゃうので、次回に…回します。
ちなみに私はさっき紹介した「小さな手袋」を教えるとき、本当に涙が出そうなほど悲しくなります。
中2以上のお子様がいる保護者様はぜひ教科書で読んでみて下さい!